【男性育休取得者】第一子誕生時の記録 予定より3週間早く誕生
2022年5月、第一子が誕生し、1年間の育児休業を取得しています。
仕事を一旦休み、約1年間の育児休業を取得し、妻と一緒に子育てをすることにしました。
育児休業を取得した男の誕生の時期の記録です。
生まれた頃の記録として、興味ある方にはお読みいただければと思います。
出生日:予定より3週間早く誕生
予定日は2022年6月20日でしたが、思っていたより早くその日は訪れました。
妻は出産予定日の2ヶ月ほど前から、産前休暇に入り(ゴールデンウイーク期間の休暇も含む)、病院に持っていく荷物を揃えていた時期でした。
なにも変わらない日を過ごし、就寝しましたが、翌朝4時過ぎに起こされます。
「夜中の2時ころから、股間から水が出てきて、何回か続いている。」
ネットで調べたところ、破水かもしれないということで、急遽病院へ行くことに。
今思い出すと、その場で「俺も行ったほうがいい?」とか聞いていた。
すぐに産まれるかもしれない大変な状況で、そんなコメント最悪ですね。
自分が指揮を取らなければならないのに、そんな準備もできていませんでした。
準備していた「陣痛タクシー」を呼び、タクシーで病院へ。
病院には入れたものの、病室には入れず、ずっとイスで待たされる始末。1時間以上して、妻からLINEで「入院になる」と連絡を受ける。
すぐに産まれるわけではないので、6時過ぎに病院を出て、なか卯で朝ごはんを食べる。
スーツに着替えて出発していたので、そのまま職場へ。特に、繁忙期でもないため、午後と翌日はお休みをいただくことに。
破水に対する知識も陣痛に対する知識も全然なかった。予定日の2週間前になってからでいいと思っていた。甘かった。
遅くとも出産予定日の2ヶ月前にはある程度知っておかないといけないというのは、反省点です。
お昼になって、妻から電話。帝王切開になるらしいとのこと。破水からしばらくして、産まれる気配がないと、赤子の生命に影響があるから、帝王切開をして赤ちゃんを出してあげたほうがいいという話らしい。
病院の先生も優しくなく、一応承諾書は書くけど、ほぼ選択肢はないらしい。
妻のお母さんと連絡をとりながら、安産を願う。
出産の時:出産の連絡があると、涙がとまらず
帝王切開と決まったら、1時間程度で出産に至るらしい。
一般的な出産の痛みとは違うけれど、身体にメスを入れるから痛いに決まっている。
お昼から5時間ほど、なにも考えることができず、家で横になっていた。
連絡があったのは夕方5時頃、赤ちゃんの動画と一緒に連絡があった。
髪の毛や身体が濡れた赤子がスマホ画面上に泣きわめいている。
すぐには「感動」という感情ではなかった。「安堵」というのが1番適切かもしれない。
LINEで感謝を伝える。母子ともに健康だという。良かった。
麻酔が効いているようで、妻はまともに動けないらしい。
出産はすぐだが、体中に痛みは残る。しばらくは食事もできないらしい。
上半身はかろうじて動くので、LINE・電話はできる。
出産報告のLINEから2時間ほど経った後、妻と電話で話すことができた。
声を聞いた時、涙が出た。電話越しに聞こえる赤子の泣き声。
元気な男の子だ。私がこんなに感情的になったところを妻は見たことがないと言っていた。
出生後1週間:引継・育児準備を開始
1週間位は妻は病院で療養。子育ての基本を教えてもらったという。
僕は休みをもらいながら、仕事の引き継ぎを行っていく。
上司や職場が理解のある人達で助かった。繁忙期でなかったことも幸いした。
1ヶ月前から後任の人を採用してもらったので、引き継ぎも楽だった。
予定より3週間早く生まれたが、2500グラム以上あり、正常の範囲であり、ほっとしている。
妻はすごい。弱みも言わない。
出産から1週間は家のことをやる習慣をつけた。
自分で買い物して、料理して、洗濯して、掃除して、当たり前だけど今まで妻と分担していたことだ。
意外と自分ひとりでできてしまうことに気づいた。
仕事が激務だったらできなかったかもしれないことなので、職場には感謝している。
出産予定日から育児休業の予定だったので、3週間位は仕事に行くことに。
細かな引き継ぎを終え、御礼の品を課内のみなさんに渡して職場を去る。
男で1年間も育休を取る人は今までにいなかった。このまま戻ってこれないんじゃないかという不安がどこかに残っている。
一週間後、妻は無事退院できることになった。